伊勢の神宮と神宮大麻

 三重県伊勢市に鎮座する伊勢神宮は、正式には「神宮」と申し上げ、時代を超えて人々から「お伊勢さま」と親しまれています。 

 皇大神宮(こうたいじんぐう)(内宮(ないくう))は、皇室の御祖神(みおやがみ)であり日本人共通の祖神としてあがめられる天照皇大御神(あまてらすおおみかみ)をおまつりしています。

 豊受大神宮(とようけだいじんぐう)(外宮(げくう))には、天照皇大御神のお食事をつかさどる神(御饌都神(みけつかみ))である豊受大御神(とようけおおみかみ)をおまつりし、衣食住などあらゆる産業の守り神としてあがめられています。

 年間に数多くの祭りが行われていますが、代表的なのは、十月にその年実った稲穂などをお供えする神嘗祭(かんなめさい)です。また、二十年に一度、社殿の建て替えなどが行われる「式年遷宮(しきねんせんぐう)」は、千三百年にわたり続いている重要な祭儀です。  

 私たちの住む日本は、天照皇大御神のご神徳によって、日日発展してきました。日本人の生活習慣や文化は、先祖からの貴重なメッセージでもあります。   

  天岩戸の神話   

 日本最古の歴史書『古事記』(上巻)は、伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)の禊ぎ祓いにより、天照皇大御神・月読命(つくよみのみこと)・須佐之男命(すさのおのみこと)の三柱(みはしら)の貴い神々が生まれたと記しています。  

 あるとき、天照皇大御神が機織(はたお)りをしておられると、とつぜん、皮をはいだ馬が天井から投げ込まれました。これが弟神である須佐之男命のしわざとわかり、この乱暴なおこないに皇大御神(すめおおみかみ)はたいへん気を落とされ、天の岩戸という洞窟に籠もってしまわれました。天照皇大御神は日の大神とも申し上げ、太陽の象徴とされる神さまですから、天上も地上も真っ暗闇になってしまいました。  

 困り果てた神々が智恵を出し合い相談した結果、まずニワトリを集め、大きな桶と鏡(八咫鏡(やたのかがみ))を用意しました。夜明けを告げるようにニワトリが鳴き、桶を舞台に天宇受売命(あめのうずめのみこと)が踊りはじめると、神さまたちは拍手喝采して陽気にさわぎました。  

 天照皇大御神は漏(も)れ聞こえてくる楽しそうな歌や声を不思議に思われ、岩戸を少し開けてみると、入口に差し出された鏡にご自分のお顔が映っていました。ますます不思議に思われてもう少し開けたところを、天手力男神(あめのたじからおのかみ)が皇大御神を外へとお連れしました。天照皇大御神がお姿を現したことで、天上も地上も元のように明るくなりました。   

  神宮のはじまり

 その八咫鏡は献上され、天照皇大御神のお手許に置かれましたが、皇孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、高天原(たかまのはら)から日向(ひゆうが)の高千穂(たかちほ)の峰に降臨されるにあたり、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)とともに「三種の神器」として、皇位と国家の永遠性を祝い、皇大御神みずから皇孫に授けられました。   

 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)の日向三代を経て、第一代神武(じんむ)天皇より第十代崇神(すじん)天皇までは、皇大御神の御心を受け継ぎ、同じ御殿内でまつられてきました。しかし疫病で世の中が混乱したため、崇神天皇六年、大和(やまと)の笠縫邑(かさぬいのむら)に神籬(ひもろぎ)を立てて祭り、皇女(こうじよ)豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に日夜奉仕させたのが、皇祖を別殿にお祭り申し上げる初めでした。そして、第十一代垂仁(すいにん)天皇二十五年、皇女倭姫命(やまとひめのみこと)が皇大御神をお祭りすべき地を求めて巡幸され、伊勢国の度会(わたらい)の宇治の五十鈴川(いすずがわ)のほとりを永遠の大宮地(おおみやどころ)と定められました。これが現在の皇大神宮であり、ご鎮座の年は垂仁天皇二十六年(紀元前四年)と伝えられます。神宮のご鎮座は、天照皇大御神のご神徳を、ひろく国民に仰いでいただくとともに、皇室と国民が一体になって国づくりに努めるべきことを宣明されたものであり、皇大御神の大御光を仰ぎつつ、国民が天皇を敬い一致団結するところに、古来一貫して天皇陛下の祭祀である神宮のお祭りの意義があります。 

 豊受大神宮のご鎮座は皇大神宮に遅れること四百八十年、第二十一代雄略(ゆうりやく)天皇二十二年(西暦四七八年)と伝えられます。もと丹波(たんば)国、比治(ひじ)の真名井(まない)が原におられましたが、雄略天皇の御夢に天照皇大御神のお告げがあり、その教えの通り丹波からお迎えして、皇大神宮に近い山田原に大宮を建てられました。その際、御垣内の東北隅に御饌殿を建て、朝夕に、天照皇大御神が豊受大御神と同殿で大御饌(おおみけ)(お食事)を召し上がることになりました。この儀を日毎朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)と申し、神宮の重要なお祭りの一つになっています。  

 天照皇大御神のご神慮で豊受大神宮がご鎮座したことは、豊受大御神のご神慮を仰ぐことなしには、食事に代表される生活全般の正しい豊かな営みが不可能であることを、皇大御神みずからお教え下さったものと考えられます。 

   神宮大麻 

 伊勢の神宮の御神札(おふだ)を「神宮大麻(じんぐうたいま)」といい、神宮の神域で、清浄を期して奉製されています。神宮大麻の「大麻」とは、本来「おおぬさ」と読み、神々への捧げ物、お祓いの際に用いられる木綿(ゆう)や麻(あさ)をさします。このことから、厳重なお祓いを経て授けられる御神札を「大麻」と呼ぶようになりました。 

 平安時代の終わり頃より、神宮と人々の間を取り持つ神職である「御師(おんし)」が、参宮者のために祈祷をこめて配布した「御祓大麻(おはらいたいま)」が、伊勢の御神札の起源とされています。御祓大麻は、伊勢にお参りできない遠くの人々の手にも、暦や伊勢土産と一緒に届けられました。  

 明治維新にあたり、御師の制度は廃止となり、御祓大麻の配布も停止されましたが、国民から「大神宮さまの御神札」を待ち望む声がわき起こりました。そこで明治五年(一八七二)、新たに「神宮大麻」を神宮司庁が奉製し、全国の家庭に頒布されることになりました。神宮大麻の全国頒布は、人々がお伊勢さまに崇敬の真心を寄せてきた歴史を尊重された、明治天皇の思し召しによるものです。  

 当初は、府県庁を通じて頒布されましたが、大正時代までは神宮の崇敬団体、昭和に入ると道府県の神職会を通じて頒布されました。戦後は神社本庁が神宮司庁より委託を受け、都道府県神社庁及び支部を経由して、全国の神社を通じて頒布しています。 

 日本人の清く明るい心は、「神宮大麻」の神拝から育まれ、健やかで心豊かな生活は、神さまへの日々の感謝と祈りから始まります。毎年、新しい神宮大麻を受けて、輝かしい年を迎えましょう。

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