『王壇』 緑の風に誘われて…。
牡丹の花が咲き誇り、緑いよいよ深く色を増し、縄文の風野辺に吹き、平安の光今に差し込むところ…ここ老松。高貴なお方を祀ったとされる大きな塚が築かれている、それを王壇と呼んでいる。その中央に光明真言が刻まれた石碑が堂々と建ち威光を放っている。この石碑は、正中二年碑又は王壇碑と呼ばれている。
予てから懸案だった王壇の発掘調査と真ん中から真っ二つに縦割れしている石碑の修復工事が平成17年6月に実現した。平成7年12月から無知蒙昧も顧みず、推されるままに老松公民館長に就かせて頂きました。爾来地域の方々に支えられながら、さざほざを旨とし平成20年3月にお暇を頂戴しましたが、緑の風に誘われると自然に王壇へと足が向かうのである。
正中二年(1325)に造営されてから680有余年、王壇の主は何を語っているのでしょうか。夢が膨らむところです…。
正中二年阿弥陀種子石塔婆 (正中二年碑/王壇碑)
一関市指定文化財 昭和57年2月15日指定
所在地 一関市花泉町老松字藤田190-1
所有者 小野寺隆男 氏
大きさ 長さ188㎝ 幅 53㎝ 厚さ 33㎝
王壇と呼ばれている大きな塚の中央部に建っている石塔婆は古来、正中二年碑(1325年)として知られ、上部幅一杯に阿弥陀如来等を標示する種子「キリク」の刷毛書き梵字が堂々と薬研彫りされ、その下部中央に「正中二年六月卅日 敬白」、その両脇に光明真言の梵字が丁寧に刻まれてあり、死者の罪障を除くための土砂加持の修法が営まれたことを知ることが出来ます。
壇上および西側周辺には鎌倉から南北朝期の石塔婆が数多く点在していますが、正中二年の碑は特に大きく、容姿品格ともに優れていることから高貴な身分の方のものと推定されております。
この石塔婆は、前後二枚に縦割れしていましたが、平成17年、地元有志による修復工事に伴って王壇の発掘調査がおこなわれました。
(稿・佐藤教昭〔平成21年5月18日〕/出典・広辞苑、王壇発掘調査報告書)
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