正月と初詣の意義
8千万人にものぼる日本人が、毎年正月になると社寺に初詣に訪れることについては、諸分野の研究者によって様々な指摘があります。
民俗学では、正月行事は最も重要な年中行事であり、穀物霊にして祖先霊の性格をもつ歳神(トシガミ)をまつり、農耕生活の安泰と豊かな実りを祈る儀礼行事であるとして、柳田國男もこの点を強く主張しています。柳田はまた、次のように正月について語っています。
やはり正月がめでたい日であつたわけは、これが四イ時循環の一つの境目、古年の愁ひ憤りを打切つて、新たなる希望と計画に発足する日と、信じられて居たからである。さうでも無かつたといふ経験は、可なり積み重ねて居りながらも、なほ且つ正月の春立ちかへる毎に、倦まず撓まず、くりかへし新たなる楽観を立てて居た。つまり新年は願ひの日、又新しい注文の日であつて、古い勘定の精算の日でなかつた故に、何としてもこの日をめでたくしないでは居られなかつたのである(『新たなる太陽』)。
正月は新しい希望と計画の出発点という考えからは、「一年の計は元旦にあり」という諺や「一陽来復」という言葉が想起されます。「不毛な冬が過ぎ、豊穣の春がやってくる。一陽来復とは、本来、冬至の日を指していたが、今ではより広く春の訪れを、また永い逆境を脱して希望のあふれる日を迎えることを意味するようになっている」(大林太良『正月の来た道』)。
諏訪春雄氏は、時間と世の中の秩序が更新され、かつ人間の生命も新しい活力を得て再生するという正月の観念は、地球上の人類に普遍的なものと指摘します。古代の人間は、生命の永続の手本を自然界に、とくに太陽に求めました。「世界中いたるところでひとしく暦の一年の単位が太陽によって決められ、正月行事がその一年のはじめにすえられたのは、……食物の獲得方法と太陽光線の強弱の繰りかえしのリズムがふかくむすびついていたからであった」(「アジアの正月」)。
正月をいつと定めるかには変化があるものの、時間や秩序、生命の更新という正月の観念は人類に普遍的なものであるとの視点は、正月や初詣について考える上で、きわめて意義深いものと思われます。
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