日本書紀と三大神勅
『日本書紀』は養老四年(七二〇)に成立した日本最初の公式な歴史書であり、令和二年(二〇二〇)はそれから一三〇〇年の記念の年です。『日本書紀』は神代(かみよ)の話からはじまり、その中で皇祖(こうそ)天照大御神(あまてらすおおみかみ)は三つの神勅(おことば)を子孫に授けます。この「三大神勅(さんだいしんちょく)」は大御神のお考えによって天から降(くだ)った天孫(てんそん)瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)より現代に至るまで天皇と国民のこころと共に大切に受け継がれてきました。
天壌無窮の神勅
豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みずほ)の国(くに)は、是(これ)吾(あ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。宜(よろ)しく爾(いまし)皇孫(すめみま)就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、当(まさ)に天壌(あめつち)と窮(きはま)りなかるべし。(神代紀、第九段、一書第一)
日本はわたしの子孫が天皇となる国です。その皇位は天地とともに永遠に栄えることでしょう。
太陽の女神・天照大御神がご自身の子孫こそ天皇として永遠に日本を治めるにふさわしいと示された大切な神勅です。令和元年(二〇一九)五月に新帝陛下はご即位され、秋の即位礼をもって皇位を受け継がれたことをご披露されました。天孫・瓊瓊杵尊に神勅が授けられてより今にいたるまで代々、大御神の子孫がその皇統を受け継いできました。
宝鏡奉斎(同床共殿)の神勅
吾(あ)が児(みこ)、此(こ)の宝鏡(たからのかがみ)を視(み)まさむこと、当(まさ)に吾(あ)を視(み)るがごとくすべし。與(とも)に床(みゆか)を同じくし、殿(みあらか)をひとつにし、以(もっ)て斎鏡(いはひのかがみ)と為(な)すべし。(神代紀、第九段、一書第二)
この鏡をわたしだと思い大切にまつりなさい。
天照大御神が三種の神器の鏡を授け、その鏡を大御神と同じように地上でまつることを命じられた神勅です。鏡はのちに伊勢の神宮におまつりされ、宮中では分霊(わけみたま)の鏡をおまつりするようになりました。御大礼(ごたいれい)において陛下がまず伊勢と宮中の大御神にご奉告されたように今も大切にされ、伊勢の神宮は人々からの崇敬もあつく、宮中でも大御神に私たちの平安を願うおまつりが陛下によって行われています。
斎庭稲穂の神勅
吾(あ)が高天原(たかまのはら)にきこしめす斎庭(ゆには)の穂(いなほ)を以(もっ)て、また吾(あ)が児(みこ)にまかせまつるべし。(神代紀、第九段、一書第二)
わたしが高天原で育てた神聖な稲穂をあなたに授けましょう。
天照大御神が「人々の食の中心」として天上の田んぼで育てた稲を地上に授けたことを伝える神勅です。毎秋、宮中や全国神社で行われる新嘗祭(にいなめさい)は大御神からの賜り物である米の収穫感謝のおまつりです。天皇一代一度の大嘗祭(だいじょうさい)においても天皇みずから神々へと新穀を供えられ、国と人々の繁栄が祈られます。日本においてまつりや食文化と分かち難い稲作が、神代から受け継がれてきたことを示しています。
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